福岡市の副都心【香椎・西新・大橋】の由来

福岡の副都心【西新・香椎・大橋】の由来を調べてみたよ。

日本全体の人口が減少する時代なのに、福岡県、特に福岡市はどんどん人口が増えている日本でも希少な都市です。

それで人口もどんどん増えているので、福岡市の昔を知っている人からすると随分と変わったなぁ〜と思う場所もチラホラあったりしますよね。

天神や博多でも建物がどんどん大きくなったらあの〇〇が無くなった!なんてことがあるんですけど、それは中心地に限った話ではありませんね。

福岡市の副都心【香椎・西新・大橋】の由来

今回は福岡市の副都心的な存在である3つの地域にフォーカスしてみたいと思います。3つの地域とは西新・香椎・大橋です。それぞれの地域の由来について書いてみたいと思います。

東区の香椎の由来

まずは東区の香椎から調査してみたいと思います。

香椎の文字をみてると香りに関係がありそうですね。推測できるのは椎茸の香り〜とか。真面目に。

で、調べてみると本当に香りに関係していることがわかりました。

ただし椎茸でなく椎木の香りだそうです。

で、この椎木の香りを香椎という地名にした由来ですが、かなり大昔の歴史に由来していることがわかりました。

まず香椎宮には誰が祀られているのかというところからですが、西暦200年の日本書紀に記されている仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)が祀られているそうです。

仲哀天皇を納めた棺桶が椎木で作っているので椎木の香りから、香椎という名前をつけたのが由来のようですね。

このお話は香椎宮の近くにある「古宮跡」という場所で確認できるので興味がある方は行ってみてください。

香椎浜からのアイランドシティ

香椎という名前の由来はわかりましたが、実はこの天皇、実在する可能性は低いそうです。西暦200年といえばまだ日本は日本という名前が名付けられる前ですからね。

そんな時代に存在した人と言われても証拠もあまりないのも納得。考古学のレベルです。とは言え、香椎という名前は改名されずに今でも使われているので事実かもしれないですね。

この仲哀天皇のお話を引用したところを載せておきます。

筑紫に赴いた天皇は神懸りした皇后から託宣を受けた。それは「熊襲の痩せた国を攻めても意味はない、神に田と船を捧げて海を渡れば金銀財宝のある新羅を戦わずして得るだろう」という内容だった。しかし高い丘に登って大海を望んでも国など見えない。歴代天皇があらゆる神を祀っていたというのに未だ祀っていない神がいるとも考えられない。そこで天皇は神が偽物ではないかと疑った。神は再度、皇后に神がかり「天皇は国を手に入れられず、妊娠した皇后が生む皇子が得るだろう」と託宣した。
それでも神を信じられない天皇は構わず熊襲を攻めたものの、空しく敗走。翌年2月に天皇は急に崩じてしまい、神の怒りに触れたと見なされた。

Wikipedia仲哀天皇より

香椎は今回調べた3つの地域の中で最も古い歴史をもつ地名ということがわかりました。歴史の古さで言えば中心地の天神以上に古いです。

天神についてこちらの記事で書きましたので、どうぞ。

福岡市中央区「天神」の由来について徹底的に調べてみたよ。

南区の大橋の由来

次は福岡市の南区にある大橋の由来について調査してみました。

大橋と書いてあるので、橋が関連している地名だと推測できますね。と、なるとその対象は大橋付近を流れている那珂川が由来なのかと思われます。

が、調査してみると違いました。大橋の由来は確かに橋から取られていたのですが、大橋の由来となった橋が掛かっていた川は那珂川ではなく、用水路に掛けられた石橋が大橋の由来となっているそうです。

今は大橋の由来となった石橋は取り壊されてないそうです。この用水路に掛けられた石橋が存在したのは昭和初期(戦時中)の時代だそうです。

つまり大橋と地名がつけられたのは意外と最近なのがわかりました。昭和と言えば歴史でいうと最近ですからね。

それ以前は大橋あたりの地名は三宅や塩原だったそうです。これらの地名は現在でも使われています。

大橋駅周辺が発達する前は南区はかなり田園風景の広がる地域だったようで、大橋から天神の建物が見えるほど何もなかったようです。今ではちょっと想像できません。

大橋を福岡市の副都心に変貌させたのは間違えなく西鉄電車の快速停車駅になったからでしょうね。最近では特急も停まるようになりましたし、今後、より大橋駅周辺は発展するのではと思われます。

西鉄沿線沿いの地名については薬院も調査してみたので、こちらからどうぞ。

福岡市中央区「薬院」の由来について徹底的に調べてみたよ。

早良区の西新の由来

最後に早良区にある福岡市の副都心である西新について調査してみました。

「西」と「新しい」で西新と読むのはちょっと難読な地名です。読めるけど、そうは読まないよな、ふつーという感じでしょうか。

名前の由来を直訳すると「西の新しい場所」と推測できます。

それで調べてみるとその通りでした。(笑)

西新は江戸時代に命名されたようです。西新と命名された江戸時代、当時は福岡市には福岡城が存在してました。

【難攻不落】福岡城がいかに防御に優れたか検証してみた!

江戸時代にあった福岡城は今の舞鶴公園にあったので、西新はそこから見て、西にあります。

はじめ、西新は筑前福岡藩の武士が住む街として発展したようです。

福岡城があるのは舞鶴公園。そのすぐ西に武家屋敷が並んでいきます。最初は西町として樋井川より東(今の中央区今川や地行ふきん)に武家屋敷が作られたそうです。

大濠公園のベンチでまったり夫婦

その後、人口増加(?)により武家エリアが拡大し、樋井川を超えた地域(今の早良区西新ふきん)に新しく街を作ったそうです。

この川を超えて新しく作った街ということがそのまま文字になり西新となったわけですね。意外とそのままの由来でした。

江戸時代当初の西新は今と逆で「新西町」と表示されていたそうですが、いつからか「西新町」へ並べ変わったようです。

西新の由来はそのままですね。(笑)

福岡市の地名の由来を調べてその地域を歩いてみるとまた新しい発見があるかもしれません。

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現在までに72ヶ国旅した旅人。国際線100本以上搭乗経験あり。格安航空券取得、サバイバル、現地人コミュニティ参加が得意中の得意。ママチャリで北米大陸横断、国際交流パーティー主催、教育ゲームファシリテーター、ITコンサルタント。企業・個人向け英会話講師、IT講師として活動中。