【難攻不落】福岡城がいかに防御に優れたか検証してみた!

【難攻不落】福岡城がいかに防御に優れたか検証してみた!

福岡市内で桜の名所といえばパッと思いつくのが舞鶴公園です。福岡市出身の方であれば知っていると思いますが、現在の舞鶴公園には江戸時代には福岡城が築城されてました。

【難攻不落】福岡城がいかに防御に優れたか検証してみた!

でも今では福岡城の楼閣は全くなく城跡のみある状態で舞鶴公園となっています。ここでは皆さんに江戸時代に戻って頂いて、福岡城がどれだけ優れたお城だったのか検証してもらおうと思います。

舞鶴公園で福岡城を再現する

それでまず、福岡城が築城されたのは「いつ頃」、「誰に」建設されたのかを調査してみました。

福岡城は「いつ頃」築城されたのか?

福岡城が築城されたのは江戸時代。戦国時代を生き抜いた武士による江戸幕府が日本を納めた天下泰平の時代に福岡城は築城されました。

関ヶ原の戦い(1600年)のよく年(1601年)に福岡城の築城が開始され、6年の歳月を経て1607年に竣工しました。場所はご存知の通り今の舞鶴公園に該当する土地に経っていました。

福岡城は江戸時代初期に築城され、廃藩置県が行われた明治時代までの270年ほどの間、今の舞鶴公園にその姿があったとされています。今はもう城址公園となっていて楼閣などはありません。

福岡城は「誰が」建設した?

福岡城を築城した人物は関ヶ原の戦いで功績のあった外様大名の黒田長政です。関ヶ原の戦いでは東軍に加勢した武将。出身は実は福岡でなく兵庫県の姫路とされています。(姫路城生まれ)

黒田長政は豊臣政権時代より徳川家康派の人間で、豊臣秀吉死後に権力を強めた石田三成と対立。その傾向が強くなり、戦国の七将の一人として名前を残す人物でした。

地元民にもあまり知られてない福岡城の凄さ

黒田官兵衛・長政親子がつくった難攻不落の城塞都市、福岡。その難攻不落ぶりをここでは具体的に書いてみます。地元の人でもあまり知られていない福岡城の工夫が垣間見えます。

福岡の都市全体が城になってた江戸時代。主に、東の小倉藩からの攻撃に備える地形を構成した。以下が福岡城の工夫になります。

福岡城のここが凄い① 無理やり地形変えちゃった

・地元の反対を押し切り、川の流れを変えて2本の川にして、天然の外堀にする。(三笠川、那珂川)
 ・博多エリアに寺、建てまくる。福岡城からの味方が入場しやすいよう入口は西に向け、東からの敵は入りづらいよう、塀は東側に向ける。
 ・海だった舞鶴・築港エリアを大規模に埋め立て、武家屋敷エリアにしちゃった。当時の技術では途方もない大工事。

福岡城のここが凄い② 三笠川の対岸(博多)で迎え撃つ

福岡平野に侵入してきた敵に対して奇襲作成を決行。
博多エリアに意図的に配置した無数の寺に隠れて、ゲリラ戦を仕掛ける。

福岡の街並みを再現

福岡城のここが凄い③ 那珂川にかかる唯一の橋は切り落とし可

博多エリア(中洲)から福岡城へ攻め込まれた想定で川を渡らせない。
那珂川を渡られそうなときは、橋、切り落としちゃう。

福岡城のここが凄い④ 石垣で食い止める

橋を切り落としても那珂川を突破された場合は、巨大な石垣と城門で食い止める。天神エリアには意地でも入らせない。(アクロス天神の川岸に今でも残る名残。マジで巨大な石垣と門だった。)

福岡城のここが凄い⑤ T字路、袋小路で足止め

迷路のように張り巡らされた狭い路地。そう簡単には天神エリアに入れさせない。今でも区画がそのまま残る薬院・大名エリア。その防御用区割りのため、現代人はめっちゃ歩きづらい。都市の利便性を捨ててでも防御性を高めた。

福岡城のここが凄い⑥ 海水を引き込んだ超巨大な堀(大濠)

福岡城の西側には巨大な堀を建設していた、ていうか、ほぼ海だった。
船には浅すぎ、兵士たちが渡るには深すぎる。ていうか、デカすぎて人は渡れないレベルだった。

福岡城のここが凄い⑦ 武家屋敷で袋叩き

福岡の中心地(天神エリア)への侵入を許しても、城の前に広がる広大な武家屋敷エリアの武士たちが襲い掛かり、ボコボコにする。という訓練を受けていた。
実際に武家屋敷では経路を確保したり、揺動するといった綿密な計算がされていた。

福岡城のここが凄い⑧ 忍者泣かせの堀

武家屋敷を突破したとしても、本丸への道は遠い。まず外堀が心憎い設計。泳ぐには浅すぎ、歩くには深すぎる、忍者泣かせの深さ。渡り切ったとしても、その先はわざと土にした土手のため、濡れた足はヌルヌルして超スベる。

福岡城のここが凄い⑨ とにかく城がデカい

最後は城そのものが凄かった!堀や正門を突破して三の丸に侵入できたとしても、三の丸が尋常じゃなく広い(平和台球場、陸上競技場)。城主が居る本丸になかなか辿り着けないのである。

福岡城の要は街全体だった

福岡は城下町として要塞の機能も兼ね備えてました。多くの河川が博多の港町へ流れてる地形であったため、自然を利用した防壁を築くことに成功しました。

黒田藩が福岡の街に施した要塞機能は次のものが挙げられます。

  • 川つくって敵の足を遅めた
  • 寺を建てまくって隠れ奇襲作戦を決行した
  • 海を埋め立てて大きな堀を作った
  • 町をT字路、袋小路にして複雑にした

そんなことしてまで福岡・博多という都市全体を城にしてしまったのです。今でも福岡市内のいたるところで当時の工夫を垣間見ることができます。

市内中心地の大名や薬院エリアでは小路が多く、T字が多いのもこの名残です。袋小路の多くは時代と削ぐわないため撤廃されました。

福岡の歴史を意識して街を歩いてみると新しい発見があるかもしれません。

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「国際っぽいことをやるプロ」になりたい、と決意し、国際っぽい人生を始めてしまう。まず世界各国からの旅人が集って英語でヨーロッパ一周をするツアーに、英語力もないまま参加して痛い目に遭う。 以来、マレーシア留学、セブ留学を経たのち、留学支援会社設立、国際交流パーティー主催など、「国際っぽいことをやるプロ」としての歩みを続ける。 一般社団法人スカイゲートインターナショナル 代表理事、国際交流チーム"SKY MATES 7" メンバー [得意なこと] DJ、写真、インターナショナルっぽく振る舞うこと